私ごとですが、『ちいかわ』が大好きです。
特に『ハチワレ』。
元々が“猫好き”だったこともあり、作中でハチワレが毛玉を吐くシーンを見た瞬間、完全にハートを撃ち抜かれました。
どんな状況でも諦めずポジティブ、いつも前向きなところが本当に大好きです。
さて、先日も会社の近くの「Oh! Me 大津テラス」内にある映画館「ユナイテッド・シネマ大津」へ足を運び、『映画ちいかわ 人魚の島のひみつ』を観てきました。
映画の内容では、『後味』について話題になりましたね。

街にあふれるタイアップと、熱狂する「界隈」
映画館の熱気もさることながら、今や街を見渡せば「ちいかわ」を見ない日はないほどです。
直近だけでも、映画公開に合わせてキャンペーンなどさまざまな企業との大規模なコラボキャンペーンが展開されています。
- JR東海×「映画ちいかわ」 東海道新幹線ツツウラウラ旅
新幹線乗車でARフォトフレームがもらえるなど、旅と連動した大型コラボ。
https://recommend.jr-central.co.jp/tsutsuurauratabi/ - 商船三井さんふらわあ×「映画ちいかわ」 船内フォトラリー「ちいかわとのんびり船旅」
フェリー「さんふらわあ」の船内を巡って楽しむ、初の船旅コラボ企画。
https://www.sunflower.co.jp/information/event/20260806.html - ちいかわ×くら寿司 コラボキャンペーン
限定メニューや「ビッくらポン!」での景品、先着プレゼントなどが登場する大型コラボ。
https://www.kurasushi.co.jp/topic/2026_chiikawa.html - 『映画ちいかわ 人魚の島のひみつ』in 横浜市
街めぐりステッカーや特別コラボ花火など、横浜の街全体を巻き込んだ映画公開記念イベント。
https://www.welcome.city.yokohama.jp/hottopics/chiikawa/ - カレーハウスCoCo壱番屋×「ちいかわ」 コラボキャンペーン
対象メニューの注文でオリジナルアクリルスタンドや限定グッズが手に入るコラボ。
https://www.ichibanya.co.jp/cp/chiikawa/
また、世間では映画の興行収入、転売ヤー対策などニュースになり、「界隈」でも話題にことかきません。

この感情は「推し」とはちょっと違うのかもしれない
しかし、自分自身が右往左往しながらグッズを買い求め、イベントに足を運ぶ「ちい活」をしつつも、ふと自分の心の中に疑問が湧いてくることがあります。
「……あれ、この気持ちって『推し』とはちょっと違うのかもしれない」
辞書的な定義を調べてみると、このように記載されています。
おし【推し】 他の人にすすめること。また俗に、人にすすめたいほど気に入っている人や物。「―の主演ドラマ」
引用:辞典・百科事典の検索サービス – Weblio辞書
一般的に「推し」といえば、キラキラ輝く存在を遠くから見守り、応援し、自分の情熱を注ぎ込むような感覚かもしれません。
しかし、私がハチワレやちいかわたちに抱いている感情は、この「応援したい」というベクトルとは少し毛色が異なるのです。
結果の勝ち負けではなく「ただただ生きる」への共感
もちろん、彼らの日常で描かれる、笑えて癒やされる楽しいお話や、ゆるい世界観が大前提として大好きです。
しかし同時に惹きつけられるのは、彼らが日々の中で見せる「姿」です。
確かに彼らは草むしりや討伐といった仕事に向き合い、資格試験に挑戦しては時に壁にぶつかります。
誤解のないように言うと、ファンとして「試験には受かってほしい」し、「討伐だって無事に成功してほしい」と心から願っています。
彼らにとっては生活がかかった切実な問題ですから。
けれども、私が本当に夢中にさせるポイントは、そうした「合格した」「勝った」という表面的な成果や成功体験ではありません。
そんな薄っぺらい結果の勝ち負けで共感しているわけではないのです。
何かに勝ちたいからではなく、自分自身の弱さや不安と戦いながら、時にはおかしな事をして笑い合う日常――そこに惹きつけられています。
「経済圏」ではなく「生存圏」を共に生きる
世間がブームや消費として分析する「ちいかわ経済圏」ではなく、自分の目の前の生活や仕事と向き合いながら健気に踏ん張る「ちいかわ生存圏」に、私自身が惹かれ、夢中になっているのだと感じます。
(世間一般では、これを「推している」と呼ぶのかもしれませんが……)
「遠くから応援する」というよりは、「私自身もこの大変で愛おしい現実を、彼らと一緒に一生懸命生きている」という、切実で温かい共感なのだと思います。
世間がどれだけ経済効果や興行収入の数字で盛り上がっていようと、私にとってはそんな数字はどうでも良いのです。
過酷さもゆるさも含めた彼らの日常が愛おしい、ただそれだけで十分です。
